甚吉邸特別講演会「甚吉邸と建築探偵団」が開催されました

2025.11.22

2025年11月22日に甚吉邸特別講演会「甚吉邸と建築探偵団」がICI STUDIO W-ANNEXで開催されました。Ⅰ部は「甚吉邸を知る」と題して甚吉邸紹介動画の放映、Ⅱ部は「甚吉邸と建築探偵団」と題して甚吉邸名誉館長の藤森照信氏と、元文化庁長官の堀勇良氏にご対談いただきました。

第Ⅰ部 「甚吉邸を知る」動画
奇跡の住宅が生み出されるまでの過去、旧渡辺甚吉邸との出会いの経緯、解体の危機から移築・復原、そして未来に向けて現在行っている活動について、約45分の動画にまとめ放映しました。

第Ⅱ部 対談 「甚吉邸と建築探偵団」
街を歩きながら近代建築を調査する活動(のちの建築探偵)の中で、白金台を訪れた藤森照信氏が旧渡辺甚吉邸と出会い、著書である『建築探偵の冒険』(筑摩書房)で紹介されたことで広く一般に知られるようになりました。藤森照信氏とともに建築探偵団として活動されていた堀勇良氏を交えてご対談いただきました。

―旧渡辺甚吉邸との出会い―
藤森氏:始まりは明治建築についての執筆を終えた1974年頃。様々な用途の建物が揃っている千代田区から調査を始めた。旧渡辺甚吉邸と出会った時、門も閉まっていたためスリランカ大使公邸だということ以外は何もわからなかった。門しか見えなかったが、当時張るものであった鉄平石が積まれていたことや門灯のデザインから、こんなデザインができる人がいるんだ、と衝撃を受けた。
堀氏:藤森氏が旧渡辺甚吉邸と出会った時別の調査をしていたため、SPACE MODULATORの藤森氏が執筆した記事で初めて旧渡辺甚吉邸を知った。その後遠藤健三邸を訪れ、その際に藤森氏が書いた聞き取りメモを大切に保管していた。

―遠藤健三邸でのエピソードー
藤森氏:遠藤健三邸を訪れた際に、遠藤氏の高輪の家は吉村順三氏に設計を依頼したことを聞いた。吉村順三氏が中学時代にあめりか屋のコンペに出した作品に対し、山本拙郎氏から「すなおで気持ちの良い案」と吉村順三氏の生涯の作を言い当てるような感想があった。そのコンペの記事を藤森氏が調べ、吉村順三氏から丁寧な手紙をもらった。当時大学院生だった自分に対して丁寧に接してくれたことが印象的だった。

―今和次郎について―
藤森氏:柳田國男が民家の研究を始めた際に、室内が暗いため写真を撮ることができず、スケッチ要員として連れてきたのが今和次郎だった。今和次郎はそこで民家に目覚め、民家や考現学の研究を始めた。震災復興の際にバラックを美しくするために、当時としては一般的でない装飾をバラックや内壁に描いていた。また銀座四丁目で女性の服装を調べ、洋装の女性を付け廻して記録を取っていたことなどから、興味を持った。そんな今氏がデザインを担当し、それが作品として残っている甚吉邸は素晴らしい。

―建築探偵の活動の広がり―
堀氏:建築探偵の活動は、中央公論や女性雑誌LEEへの掲載、お昼の人気ワイドショー「今日は何の日?」で建築探偵の日として取り上げられ、一般にも広がっていった。第14回のヴェネチアビエンナーレ国際建築展に1970年代の建築現象の一つとして取り上げられたことは、建築探偵団の活動が世界的にも広がりをみせるきっかけとなった。

―建築探偵の活動を振り返って思うこと―
藤森氏:自分たちが面白いと思ってやってきた活動が社会的に広がり、一般市民にも活動が広がったこと、海外でも建築探偵団についての展示が行えるとは思ってもいなかったので嬉しさを感じる。一方で壊れていった建物も明晰に覚えていて、もしひたすら近代建築の保存に打ち込んでいたら10~20の建物は残っていたのではないか、という思いもある。
堀氏:建築探偵という活動が社会的にこれだけ広がりをみせたことや海外にまで渡ったことに驚きを感じている。

―まとめ―
第Ⅱ部では建築探偵団としての活動や旧渡辺甚吉邸とその誕生に関わった方々について当時のエピソードを交えて貴重なお話をいただきました。今後も甚吉邸では定期的にイベントの開催を予定しております。ぜひお楽しみに。